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多摩大学目黒トップ > キャンパスニュース > 2022年5月9日号

高2生、「第二次世界大戦の長崎」の講話を拝聴

 修学旅行で長崎を訪れる高校2年生の探求授業の一環として、5月7日の土曜日に、多摩大学専任講師の桐谷多恵子先生による講話が行われました。密を避けるために生徒はそれぞれの教室からZOOMでの拝聴となりました。

 講話のテーマは「第二次世界大戦の長崎」。  被爆3世である桐谷先生。10歳の時に父親から被爆3世であることを知らされ、大きな不安を抱えるようになりました。17歳の時に祖母が原爆病院で書いていた日記を父親から渡され、被爆者であるがゆえの苦しみに触れたことをきっかけに、被爆者や2世、3世、そして自分自身と向き合うために研究の道に進みました。
 ご自身の家族の話を交えつつ、生徒たちにも理解しやすいようにとても具体的なお話をしてくださったのが印象的でした。またより理解を深めるために、高校生向けの本の紹介もしていただきました。生徒たちはZOOMの配信画面を真剣に見つめつつ、時にはメモを取りながら拝聴していました。

 長崎では班別行動が予定されています。事前にそれぞれの班で行程を考えたうえで桐谷先生の講話を拝聴し、そのあとでもう一度行程について考えてもらいました。
 桐谷先生の講話を踏まえて、高2生一人ひとりが、より高い意識とテーマをもって長崎を訪問し、深い学びをしてくれることを期待しています。

桐谷先生の経歴
横浜市で生まれ育ち、10歳の頃に父から「被爆者の孫だよ」と聞かされた。母は長崎出身の被爆2世で、産まれる前に祖母と当時2歳の伯母が被爆していた。父は、家族が結婚に反対したことも打ち明けた。
 「自分は3世」――。そう認識した瞬間、不安に襲われた。当時、小学5年生。同じような境遇の人は周りにいない。子どもながらに「言ったら差別されるのかな」と恐れた。誰にも語れず、こっそり図書館で漫画「はだしのゲン」や被爆者の写真集などをめくった。
 17歳の時、家族で初めて広島と長崎を訪問後、52歳で他界した祖母が原爆病院で書いた日記を父に渡された。原爆投下時やその後の生活、精神を病んだ母親を救えず自分を責め続けたことなどがつづられていた。
 写真でしか知らない祖母が抱えた苦しみ。「こんな大きな問題、なぜおばあちゃんは1人で背負って生きたのだろう」。被爆者や2世、3世、自分と向き合おうと、研究の道へ進んだ。
(沖縄タイムス2020年12月13日 9時00分の記事:抜粋)


それぞれの教室からZoomで講話を聴きました。


担任も生徒と一緒に拝聴しました。


資料も映していただきました。


桐谷先生と長崎との出会い。


大切なところはメモを取ります。


桐谷先生と田村校長。


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